登山コラム《山記者小野博宣の目》
2018年6月2日 遠くの大台ケ原




遠くの大台ケ原

 大台ケ原はよい山だと思う。変化に富んだ景色が楽しめ、高低差もほどよく歩きやすい。ただひとつの難点は、とても遠いことだ。奈良・吉野のさらに奥地。遠方に住んでいる恋人のようなもので、会うためには手間も時間もかけねばならない。

 早朝の大阪でレンタカーを借りた。吉野川沿いを街中から渓谷へと遡上して、大台ケ原ドライブウェイをひた走る。崖の縁に取り付けられた、くねくねと曲がった狭い道路を登りつめると、突如空が開ける。「吉野熊野国立公園 大台ケ原」と刻まれた石碑が眼に飛び込んでくる。3時間かけて登山口の駐車場にたどり着いた。たくさんの乗用車に、大型バスやオートバイ、自転車が停まっている。かなりの登山者がいることがわかる。やはり人気の山なのだ。

大台ケ原の最高峰・日出ケ岳
大台ケ原の最高峰・日出ケ岳

 最高峰は、日出ケ岳(1695㍍)という。駐車場から、よく整備された登山道を登ること40分で到達する。山上の展望台からは、熊野灘や富士山も遠望できると、風景表示盤に記されている。私は2度この地を訪れている。初夏の6月と、盛夏の8月だ。残念なことに、いずれの時もガスがかかり、すっきりと遠くまで見通すことはできなかった。「仕方ない」とあきらめはすぐについた。年間の雨量が日本で1、2位を争う多雨地帯だから、雨に降られなかっただけでも幸運なのだと思う。

シロヤシオのトンネル
シロヤシオのトンネル

 山頂から南に向かうと、6月にはシロヤシオのトンネルが現れた。白い花々が頭上を覆うようにして歓迎してくれた。8月には緑のアーケードとなっていた。これはこれで、日差しを遮ってくれる。実にありがたい。

正木峠からの風景。トウヒの立ち枯れが目立つ
正木峠からの風景。トウヒの立ち枯れが目立つ

 さらに歩みを進め、正木峠に至る。緑の丘陵に、針葉樹のトウヒの立ち枯れや倒木が目立つ。空の青さに、巨大な棒切れのように立ちつくす木々の白さが妙にまぶしい。1959年9月の伊勢湾台風で、多くの木が倒れるなど甚大な被害を受けたという。災害は森の様相を変え、爪あとはいまだに生々しい。

ここが県境の直角カーブ
ここが県境の直角カーブ

 正木峠付近では木道を踏むのだが、ほぼ直角に曲がっている箇所があることに気づく。国土地理院の地形図(25000分の1)でもしっかりと表現されている。実はここは県境で、直角カーブは奈良県側から三重県側にぴょこんと飛び出ている。

 見通しがきく大台ケ原は、地図読みを実地で学ぶにはもってこいの場所だ。私も初めて訪れた時には、地形図を持参した。右手に地形図を持ち、刻々と変化する現在地を親指で押さえながら歩いた。

 最高峰「日出ケ岳」、県境の「直角カーブ」、草原の「牛石ケ原」、急峻な渓谷「シオカラ谷」など、初心者にも見分けがつきやすい地形が次から次へと登場する。これら実際の地形と、地図上のそれが照合しやすい。地図読みに興味のある人は、ぜひ試してほしいと思う。

大蛇グラの景観
大蛇グラの景観

 さて、ハイライトの大蛇グラに向かう。固い岩盤の巨岩が断崖絶壁上に突き出ている。人々は大蛇の背中に乗るようにして、恐る恐る岩に乗り、絶景を楽しんでいた。高度感もかなりのものがあり、日常にはないスリルを味わえる。

 ここから、シオカラ谷の吊り橋を経由して駐車場に戻る。全行程で4時間程度のハイキングだ。手軽に歩けるのに、独特の風景、奇勝を楽しめる。そんな大台ケ原は、宝石のような景観をいくつもしまいこんだ玉手箱のようだ。玉手箱は開けるからこそ価値がある。驚きもある。まだ見ぬ人はぜひ開けてほしい、訪れてほしい。その美しさを知れば、遠来の苦労はかけがえのない体験になるだろう。

【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】

●アクセス●
 近鉄線の大和上市駅からのバスは季節運行で、午前9時台に2本あるだけ(2018年8月現在)。大阪・梅田から車で3時間、近鉄特急の停車する大和八木駅でレンタカーを借りても2時間以上かかる。それでも関西なら日帰りも可能だが、それ以外は前泊が前提となる。

●参考・引用文献●
国土地理院発行地形図「大台ケ原山」(25000分の1)


●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長などを経て現在、大阪本社大阪営業本部長。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。同社の山岳部「毎日新聞山の会」会長