登山コラム《山記者小野博宣の目》
2018年7月15日 塔ノ岳・番外編 丹沢チャンプ畠山さん 21世紀・強力伝




塔ノ岳・番外編 丹沢チャンプ畠山さん 21世紀・強力伝

 人と会うのも、山に登る楽しみのひとつだろう。日本百名山・丹沢の塔ノ岳(1491㍍)には、笑顔をふりまきながら歩く歩荷(ボッカ)がいる。御年65歳の畠山良巳さんだ。
 歩荷という仕事は、誰もができるわけではない。数十㌔もの荷物を背負子(しょいこ)で担ぎ、登山道をひたすら登り、山頂の山小屋を目指す。担ぎ上げるのは食料や飲料水、アルコール、灯油などだ。強靭(きょうじん)な意志とずば抜けた体力がなければ、とても引き受けることはできない。また、山歩きの卓抜した技術があることは大前提となる。
 7月に入り、畠山さんから連絡を受けた。「今度、6000回目の登山をするから取材に来てよ」。歩荷として、ひとつの山に6000回も登る。前人未踏であり、おそらく世界でも類を見ないだろう。当然取材に出かけることにした。
30キロの荷を担ぎ上げる。ふくらはぎに力こぶができている
30キロの荷を担ぎ上げる。ふくらはぎに力こぶができている

 2018年7月15日、神奈川県内の気温は軒並み30度を超えた。中級山岳の塔ノ岳登山は猛暑との戦いになる。スポーツドリンク2㍑、氷水2㍑をザックに詰め込んで、暑さへの対策とした。もちろん着替えやタオルも余分に持参した。濡れたものを取り換えるだけでストレスは軽減されるからだ。
 早朝の登山基地・大倉バス停には笑顔の畠山さんがいた。「おはよう。今日は暑いよ」。荷物はカップ麺5箱、水1箱、焼酎2本で30㌔という。立っているだけで汗が吹き出る気候で、これだけの重さを担ぎ上げるという。常人のなせる業ではない。いつものTシャツ、短パン姿で背負子を担いだ。体はやや前傾姿勢、ふくらはぎの筋肉が一歩ごとに盛り上がる。
旧知の登山者と出合い、談笑する畠山さん
旧知の登山者と出合い、談笑する畠山さん

 畠山さんは、丹沢山中の人気者だ。登山者とすれ違うたびに、笑顔で両手を高々と上げて、Vサインを掲げる。「丹沢のチャンピオン、登場」「気を付けてね」と声をかけて登る。特に子供たちには、「頑張ってるね」「何年生?」「今日はお父さんと一緒でよかったね」と声をかけ続ける。笑顔のVサインおじさんは、いつしか「丹沢のチャンピオン」と呼ばれ、コミックやテレビでも取り上げられるようになった。
 すれ違う登山者の多くが〝丹沢のチャンプ〟を知っている。人は笑顔を向けられれば、安堵感とともに笑顔で応えるものだ。チャンプを中心に、登山道には笑顔の花が咲く。
2014年2月8日、暴風雪の大倉尾根を歩く畠山さん
2014年2月8日、暴風雪の大倉尾根を歩く畠山さん。猛暑でも大雪でも歩みは変わらない

 畠山さんによると、歩荷を始めたのは50歳からだという。丹沢・大倉尾根で年一回行われている歩荷駅伝で好成績をおさめるため、米を担いで練習していた、と話す。それを見た塔ノ岳山頂の山小屋・尊仏山荘の主から「米を担ぐのなら、山小屋に運んで」と頼まれたのがそもそもの始まりという。
 当時、畠山さんは大手家電メーカーの工場で働いていた。三交代制勤務の合間をぬって、昼も夜も荷物を背負って塔ノ岳に通い詰めた。多い日は1日4回、年間で440回登った年もあったという。
 チャンプを初めて取材したのは、2012年4月29日、4000回登頂だった。この時から、笑顔のスタイルはまったく変わっていない。2014年2月8日の4500回では、関東地方は暴風雪となった。が、山頂への荷揚げをやめなかった。取材する我々も中止を勧めたのだが、その折の言葉が印象深い。「行かなかったら、困る人がいるでしょう」と(暴風雪はひどいものだった。大倉尾根でピッケルを使った耐風姿勢を取るとは思わなかったし、1㍍近い積雪に胸まで埋まった)。
岩場を下る。ひざに荷物の重さがかかる。微笑みから真剣な表情になる
岩場を下る。ひざに荷物の重さがかかる。微笑みから真剣な表情になる

 岩手県田野畑村出身の畠山さんは、宮沢賢治を尊敬している。「雨ニモマケズ」という言葉を意識しているのかもしれない。そんな話を向けると、照れ臭そうに「誰も登らない時に登らないと、チャンピオンじゃないよ」と笑顔だ。
 30度を超す猛暑の中、チャンプは軽快に登る。すれ違う人は、笑顔を返したり驚きの表情を浮かべたり。チャンプの存在が、暑さの中の一服の清涼剤になったのは間違いないだろう。笑顔の人と会うことで、登山が思い出深いものになることは、チャンプ・畠山さんの望みでもある。
 6000回を終えて、チャンプは「達成感があるね~」とビールを一口含んだ。次の目標はと問うと、「75歳、1万回だね」と白い歯を見せた。できれば真夏とか大雪ではない日に、達成を願う。
塔ノ岳山頂に到着し、笑顔を見せる
塔ノ岳山頂に到着し、笑顔を見せる


●チャンプに会う方法●
 現在畠山さんは神奈川県内で飲食店を経営している。その開業時間が午後1時のため、歩荷の仕事は午前中となる。「ほぼ毎日歩荷をしている。午前6時に出発し、9時には山小屋についている」とのこと。尊仏山荘に一泊し、早朝の大倉尾根を下れば会える可能性はある。ただ、今回紹介した大倉バス停からは、畠山さんは滅多に登らない。自家用車で最奥の戸沢登山口まで出向き、そこから天神尾根コースを経由して山頂を目指している。
 天神尾根コースは急斜面で登山道もわかりにくい。夏場はヒルも大量に発生しており、初心者だけでは足を踏み入れてはならない。
大倉尾根に咲く大輪のユリの花
大倉尾根に咲く大輪のユリの花


●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長などを経て現在、大阪本社大阪営業本部長。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。同社の山岳部「毎日新聞山の会」会長