登山コラム《山記者小野博宣の目》
2018年8月1日 真夏の白馬三山




真夏の白馬三山

 白馬三山(白馬岳、杓子岳、鑓ケ岳)の姿を目の当たりにしたのは、昨夏(2017年)のことだ。唐松岳を目指している途中、八方池に映ったその姿は、「美しい」を通り越して「神々しい」と感じた。「あの峰にいつか登りたい」とも。そして、今夏(18年)、その願いをかなえる時が来た。

白馬三山。写真中央が鑓ケ岳、右に順に杓子岳、白馬岳
白馬三山。写真中央が鑓ケ岳、右に順に杓子岳、白馬岳(2017年8月撮影)

 8月初旬のよく晴れた日、登山基地の猿倉を午前7時前に出発し、1時間余り後に白馬大雪渓に取り付いた。
 白馬岳(2932㍍)は、憧れの山だろう。その人気の一端を大雪渓が担っているのは間違いない。都会では30度を超えても、雪上では涼風が吹く。また「白馬」とか「雪渓」という言葉の響きがどこかメルヘンチックで、なじみやすい雰囲気が漂う。

白馬大雪渓の終点。落石が転々と転がっている中を登山者が登って来る
白馬大雪渓の終点。落石が転々と転がっている中を登山者が登って来る

 だが、大雪渓の歩行は、生易しいものでない。急峻で、落石が頻繁に起きている。直径1㍍を超す大岩があちこちに、身構えるように転がっている。毎年のように死傷者が出ており、散歩気分で歩ける場所ではない。むしろハイリスクな危険地帯と言い切ってよい。
 6本爪の軽アイゼンに、ヘルメット、ストックと準備を万端にし、素早く通過することに越したことはない。落石や転倒・滑落に注意しながら慎重に登った。だが、50歳超の我々では、悲しいかな時間はかかる。立ち休みを繰り返し、3時間近くかかった。

情熱的な色合いのクルマユリ
情熱的な色合いのクルマユリ

 大雪渓を脱しても、急な登りは続く。石でザレた斜面や雪解け水で濡れた岩を乗り越えてゆく。稜線上の「村営白馬岳頂上宿舎」が見えてくるころには、眼前にお花畑が広がった。紫色が鮮やかなミヤマトリカブト、情熱的なオレンジ色がさえるクルマユリなどが出迎えてくれた。咲き誇る高山植物も白馬岳の魅力だ。かれんで艶やかな花々と出合えるのは、ここまで汗を流してきたご褒美といえるかもしれない。

印象深い青さのミヤマトリカブト
印象深い青さのミヤマトリカブト

 頂上宿舎に荷物を置き、白馬岳山頂へ向かう。大小の石が混じる稜線を20分ほど登り、青空の山頂に到達できた。山頂は独特な形をしている。富山県側はなだらかな傾斜なのに対して、長野県の方はすっぱりと切れ落ちた絶壁になっている。のぞき込むのも怖いほどの高度感がある。
 この山を、小蓮華山の方角から、つまり北側から見るのが好きだ。非対称な様子がよくわかり、山にも“表裏”の顔があることを教えてくれる。その威容を見つめていると、人にも二面性、多様性があるのと同じことだと思えてくる。富士山のような美しい稜線を持つ山ばかりではなく、山にもいろいろな事情がある。だからこそ、山も人も面白い。

小蓮華山方面から見た白馬岳。荒々しい長野県側に比較すると
小蓮華山方面から見た白馬岳。
荒々しい長野県側に比較すると、富山県側の右側はなだらかだ(2012年8月撮影)

 山頂にはぜひ触れたい人工物が2つある。
 まず、花崗岩の風景指示盤だ。盤上の文字もかすれて判読不明な部分が多い。1941年8月に寄贈されたものだから、古色蒼然としているのもうなずける。富士山の強力(ごうりき=山頂に物資を運ぶ職業)によって運ばれたこともよく知られている。新田次郎さんの直木賞受賞作「強力伝」はその経過を、強力の心情を中心に描いた力作だ。運んだのは「五十貫近くある花崗岩二個」(新潮文庫『強力伝・孤島』)という。五十貫は、187・5キロもの重さだ。この想像を絶する重さの石を背負ったまま、たった1人で大雪渓を登ったというのだから驚嘆するほかない。

白馬岳山頂。左が風景指示板
白馬岳山頂。左が風景指示板

 もうひとつは、山頂から山小屋側に数分下ったところにある顕彰碑だ。大人の身長を超える大きさの碑には、「白馬岳開発之恩人 松沢貞逸氏像」と刻まれている。この松沢氏こそ、日本初の山小屋「白馬山荘」を開設し、白馬岳隆盛の礎を築いた人物だ。同山荘のホームページには、「明治38(1905)年、白馬岳頂上直下にあった測量用の石室の使用権利を得、日本で最初の営業山小屋(白馬山荘の前身)を創設しました。立案時、弱冠16歳でした」と敬意を込めて記している。この間の経過は、「白馬岳の百年 近代登山発祥の地と最初の山小屋」(山と渓谷社)に詳しい。白馬岳の魅力を見抜き、10代で誰も考えなかった山小屋事業に乗り出した。先見の明と商才に長けていたのだろう。残念なことに、37歳の若さで交通事故により亡くなってしまう。だが、その見立てが正しかったことは、誰の目にも明らかだろう。

松沢貞逸氏の顕彰碑
松沢貞逸氏の顕彰碑

 村営頂上山荘に宿泊した翌日、杓子岳(2812㍍)、鑓ケ岳(2903㍍)を踏破した。強風と真っ白な霧の中をそろそろと歩き、高山植物の女王・コマクサを見つけた。吹き荒れる風の中で、ピンクの花が揺れる。健気としか言いようがない。このはかなげな感じが、この花の持ち味なのだろう。

はかなげに見えるコマクサ
はかなげに見えるコマクサ

 さらに足を伸ばし、山中の秘湯「白馬鑓温泉小屋」にザックをおろした。標高2100㍍の温泉である。熱めの湯に入り、絶景に沈む夕日を見つつ、缶ビールをいただいた。吹く風がほてった肌に心地よい。これをぜいたくと言わずして、なんと言うのだろう。白馬の懐に抱かれて、夏の山旅を終えた。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】

鑓温泉小屋直下のお花畑を歩く外国人カップル
鑓温泉小屋直下のお花畑を歩く外国人カップル

●アクセス●
 猿倉へは、JR白馬駅前からバスが出ている。人数が揃えば、タクシー利用の方が安くて早い。東京からは、毎日新聞旅行の夜行バス「毎日アルペン」号を使うのも手だ。

●難易度●
 今回のコースは、猿倉~白馬大雪渓~白馬岳(宿泊)~杓子岳~鑓ケ岳~鑓温泉分岐~鑓温泉小屋(宿泊)~猿倉と周回コースだった。白馬大雪渓や鑓温泉分岐からの下降は、初心者のみでは危険。上・中級者や登山ガイドの同行が望ましい。

●参考・引用文献●
「強力伝・孤島」(新田次郎・著、新潮文庫)
「白馬岳の百年 近代登山発祥の地と最初の山小屋」(菊地俊朗・著、山と渓谷社)
白馬山荘ホームページ「白馬岳開山の父」

●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長などを経て現在、大阪本社大阪営業本部長。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。同社の山岳部「毎日新聞山の会」会長