登山コラム《山記者小野博宣の目》
2019年8月3~6日 大キレットと穂高連峰の縦走記


 「Hピーク」。石灰色の岩肌に、白い文字でそう書かれていた。その岩の向こうには、黒々とした断崖がすさまじい姿を見せていた。後ろを振り向けば、今歩いてきたナイフリッジの道が望見できる。ここは北アルプス・穂高連峰の「大キレット」と呼ばれる縦走路だ。危険な個所が連続し、登山道としては最難路といわれている。私たち一行4人は大キレットの核心部(最も危険な場所)のひとつであるH(長谷川)ピークに差し掛かった。

 鎖をつかみながら狭い足場を横歩きし、岩の壁を長野県側から岐阜県側にまたぐ。バランスを崩せば落ちてしまう。「ゆっくりと」「慌てずに」。そう自分に言い聞かせた。登山靴の下には空間が広がるばかりだが、恐怖感は不思議となかった。今度は、後ろ向きになり足場を確認しながら下降した。着地して長谷川ピークを突破した。時間は午前7時45分。山小屋・南岳小屋を出発してから2時間がたっていた。

 さらに歩みを進め、もうひとつの核心部「飛騨泣き」に差し掛かった。飛騨側に落ちてしまうと命はない、だから飛騨泣きと名付けられたと聞いたことがある。灰色の岩肌に鉄杭と鎖が打ち付けてある。「絶対に落ちない」と強く念じながら、鎖に手をかけ、杭に足を乗せた。ザックの重みで後ろに引っ張られないように体全体の重心を意識しながら、確実に登った。時間にしてわずか数分だっただろうか。あっけなかった。長谷川ピークも飛騨泣きも、DVDやユーチューブを何回も見て研究を重ねた。その成果と言えなくもないが、拍子抜けした感は否めない。石屑(くず)の急斜面を登ると、「北ホ あと200m」の文字があった。終着点である北穂高小屋までの距離を示してくれているのだろう。安ど感が広がった。山小屋には午前9時半に着いた。ちょうど4時間で大キレットを歩いたことになる。

大キレット序盤の梯子。ゆっくり下った
大キレット序盤の梯子。ゆっくり下った

核心部の一つ、飛騨泣きに差し掛かる
核心部の一つ、飛騨泣きに差し掛かる


大キレット後半、長野県側の鎖場を慎重に歩く登山者
大キレット後半、長野県側の鎖場を慎重に歩く登山者

北穂高小屋はもうすぐ
北穂高小屋はもうすぐ

 ここで1時間半ほど休憩した後、北穂高岳(3106m)の頂きを踏み、涸沢岳(3110m)を目指した。だが、この稜線が極めて危険だった。片側が切れ落ちた細い道を登り、下り、岩塊をよじ登る。1時間以上も難路と格闘して、ザックを下ろせる小さな傾斜地で休憩した時のことだ。涸沢岳の前衛・涸沢槍方面に目を向けると、二段の梯子が絶壁にくくりつけられているのが遠くに見えた。その梯子を、豆粒大の赤いシャツを着た男性登山者が登っていた。登り終えると、左側の岸壁に取りつき、ゆっくり横に移動し始めた。肉眼では見えないが、鎖か杭を頼りに歩いているのだろう。その足下には何もないように見える。空中の横移動……。そんなことが私にできるだろうか。

 小休止の後、垂直に思える岩の登山道に取りつき、遠目で見た二段梯子の下に出た。梯子には鎖がかかっているので、カラビナをかけて慎重に段を踏んだ。高さ10m近くはあっただろうか。梯子が終わり、左の壁面をのぞくと杭が打ち付けてある。鎖もびっしりと張られていた。梯子から移動しなければならないが、足元は杭以外に足を乗せるものは何もない。一瞬だが空中に体を投げ出すような形になる。恐怖に縛られたら、一歩も動けなくなる。冷静に鎖を手繰り、杭の上をそろりそろりと移動した。「ここまで危険とは……」。正直な思いだ。「君子危うきに近寄らず」との言葉がよぎったが、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と思い直した。実際に来てみなければ、どのような場所なのか、その本質を知ることはできない。そして、実際に訪れて分かったことがある。この登山道を私たちは上りに使ったが、下りに使うことはかなり危険ということだ。とても人には勧められないし、「下りで通過する」という人がいれば、「やめた方が良い」とアドバイスできる。この後も急傾斜地を幾度も越え、涸沢岳山頂へ。別のルートで登ってきた大勢の登山者でにぎわい、のんびりした雰囲気が漂っていた。

北穂高小屋のテラスから見た大キレット。遠くに槍ヶ岳が見える
北穂高小屋のテラスから見た大キレット。遠くに槍ヶ岳が見える

涸沢岳稜線上に咲くミヤマオダマキ
涸沢岳稜線上に咲くミヤマオダマキ

奥穂高岳山頂でのご来光
奥穂高岳山頂でのご来光

 穂高岳山荘で1泊の後、奥穂高岳(3190m)、吊尾根、紀美子平、重太郎新道を通り、岳沢(だけさわ)ヒュッテから上高地に戻った。上高地を起点にした穂高連峰の周回は終わった。

 今回の縦走は一瞬たりとも気が抜けなかった。一歩一歩を踏み出すたびに「集中して」「気を抜かないで」と自分に言い聞かせた。登山で最も怖いのは漫然と足を運ぶことなのだ。何気なく足を置いた石が、浮石だったらどうなるだろうか。そこが崖上だったら……。そんなことで命を落としたり大けがをしたりした登山者は何人もいる。
 さらに、三点確保やカラビナのかけ替えの練習の重要性を痛感した。練習をしていないことは本番ではできない。また、今回の縦走で終始落ち着いていられたのは、練習を重ね、様々な岩場で場数を踏んできたからだともいえる。

穂高連峰から上高地を見下ろす。中央に流れるのは梓川
穂高連峰から上高地を見下ろす。中央に流れるのは梓川

 最後になるが、大キレットを含む穂高連峰を明治時代に歩いた先人がいる。鵜殿正雄という人物だ。その紀行文「穂高岳槍ヶ岳縦走記」はネットの「青空文庫」で読むことができる。鎖も梯子もなかった時代の辛苦はいかほどのものだっただろうか。一読をお勧めする。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
(2019年8月3~6日)

●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長
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