蒼天の大絶景、標高3000mに吹く冷涼な風、隣邦から来た若いカップルの歓喜、仲間との語らい

 JR中央線(下り)の楽しみは、車窓からの山岳景観にある。笹子トンネルを過ぎると、左側の窓に南アルプスの山々が映りだす。甲斐駒ケ岳、鳳凰三山(地蔵ケ岳、観音岳、薬師岳)と続く。さらに列車が進むと、白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の威容も拝むことができる。とりわけ北岳(3192m)と間ノ岳(3189m)は、国内2位と3位の高嶺である。「一度は登りたい」と山好きなら誰もが思っているだろう。私自身はなかなか登頂の機会を見いだせないでいた。

 2019年9月、私の所属する山岳会「毎日新聞山の会」の定例山行が100回になるのを記念して、北岳、間ノ岳の2座を縦走することとなった。

 午前9時半過ぎにJR甲府駅前に集合し、ジャンボタクシーに乗車した。一行は7人。登山口のある広河原までは約2時間かかる。ゆったりと座れるタクシーはありがたい。登山基地となる「野呂川広河原インフォメーションセンター」は天井が高く、広々としている。売店やコインロッカーもあった。帰りの着替えなど登山に不要な荷物をロッカーに預けて、正午過ぎに出発した。

 野呂川にかかる吊り橋を渡り、山小屋の脇をすり抜けて樹林帯へ。急斜面をあえぎつつ登り詰め、2時間余りで白根御池小屋に到着した。小屋の前庭では大勢の登山者がくつろいでいた。赤ら顔の人もおり、和やかな雰囲気だ。3連休の初日とあって小屋は混んでいた。従業員から「布団1枚に2人」と告げられ、布団4枚をあてがわれた。富士山の山小屋のように隣人と密着する息苦しさを覚悟した。だが、布団4枚に7人なら多少のすき間ができたようだ。肌を触れ合うこともなくぐっすりと眠ることができた。

白根御池小屋の朝食弁当、焼き魚とふりかけがおいしかった
白根御池小屋の朝食弁当、焼き魚とふりかけがおいしかった。登山のスタミナ源です

 翌日は午前4時に出立した。草スベリと呼ばれる樹林帯の急斜面を500mも直登する。ヘッドランプが照らせる範囲は限られており、暗闇の中では登山道を外すことがままある。道迷いをしないように目を凝らして慎重に登り続けた。
 5時半、東の空が白んできた。ご来光だ。やがて青空が広がり、草原状の斜面が現れた。そこに取りつき、じわじわと足を運び、小太郎尾根分岐の稜線に飛び出た。眼前には甲斐駒ケ岳(2967m)と仙丈ケ岳(3033m)がそびえていた。広い裾野に荒々しい山頂の甲斐駒ヶ岳。その圧倒的な迫力に息をのむ。仙丈ケ岳はなだらかな稜線が印象的だ。数年前、快晴の下でその道をそぞろ歩いた記憶がよみがえった。後ろを振り向くと、富士山が鎮座していた。すっきりとしたスカイラインはなんと美しいのだろう。

甲斐駒ケ岳(北岳で)
甲斐駒ケ岳(北岳で)

仙丈ケ岳(北岳で)
仙丈ケ岳(北岳で)

 絶景をカメラに収めて、北岳肩ノ小屋へ向かった。ここで昼食休憩を取り、いよいよ北岳山頂へ。岩の急斜面を約1時間かけて登り切った。山頂には大勢の登山者がいた。笑顔の花が満開だ。
 若い中国人カップルが五星紅旗を持って記念撮影をしていた。男性が次にザックから取り出したのが、一輪の赤い花だった。赤いリボンが添えられていた。ひざまずいて女性に手渡すと、女性の笑顔が弾けるように輝いた。山頂でのプロポーズだった。それに気づいた周囲の日本人たちが「プロポーズ?」「おめでとう」と口々に声をかけ、時ならぬ拍手が沸き上がった。喜びに国境はない。若い2人の笑顔に、私も心底うれしくなった。北岳山頂でのプロポーズ、素晴らしいではないか。若人に祝福あれ、と祈らずにはいられない。

プロポーズする中国人カップル(福田裕一朗氏撮影)
プロポーズする中国人カップル(福田裕一朗氏撮影)

北岳山頂からの富士山
北岳山頂からの富士山

北岳から間ノ岳を眺める。登山道がどこまでも続いている
北岳から間ノ岳を眺める。登山道がどこまでも続いている

 喜びの余韻に浸りながら、我々は北岳山荘へ足を向けた。急な岩場を注意しながら下りてゆく。登って来る人たちは皆、息も絶え絶えといった表情だ。山荘に到着後、サブザックに水と貴重品、地図を詰めて間ノ岳を目指した。稜線を歩いていると、大きな山だと実感する。歩いても、歩いても山頂が見えてこない。腕時計が午後1時を指したころ、山頂に到達した。広い山頂は茫洋(ぼうよう)としていて、どこかつかみどころがない。だが、遮(さえぎ)るもののない光景は見事というしかない。一幅の名画として持ち帰るべく、シャッターを切り続けた。遠くに農鳥岳(3026m)が見渡せるのだが、今回はそこまで足を延ばせない。次の楽しみとしておこう。
 帰路の足取りは軽かった。これ以上ないという晴天の中で、北岳、間ノ岳を歩くことができた喜びが沸き上がってきた。また、北岳山荘も混み合っているものと思っていたが、布団は1人1枚となった。広々とした布団で眠ることができ、日ごろのストレスも雲散霧消した。

にぎわう北岳山荘。大混雑を予想したが、布団は1人に1枚だった

にぎわう北岳山荘。大混雑を予想したが、布団は1人に1枚だった


間ノ岳山頂
間ノ岳山頂

左から仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳、北岳。南アルプスの盟主
左から仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳、北岳。南アルプスの盟主がそろい踏み(間ノ岳で)

 3日目は雨模様の中を下山した。八本歯のコルは木製はしごが多く、濡れた木材で滑らないようにゆっくりと足を運んだ。6時間かけて広河原のインフォメーションセンターにたどり着き、甲府への帰途についた。
 車窓ごしの北岳はいつもと変わらない。だが、私にとっては印象深い特別な山となった。蒼天の大絶景、標高3000mに吹く冷涼な風、隣邦から来た若いカップルの歓喜、仲間との語らい……旅の楽しみをすべて詰め込んだぜいたくな山行となった。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会公認登山ガイド・小野博宣】
(2019年9月7、8日に登頂)


キツリフネ
キツリフネ

●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長