「北アルプスの女王」、燕岳(2763m)。

 燕岳(2763m)は「北アルプスの女王」と呼ばれる。花崗岩と砂れき、そしてハイマツが織りなす白と緑色のコントラストが美しく、丸みを帯びた山容が女王を想起させるのだろう。また、そこからは北アルプスの山々が屏風のように連なっているのが見える。迫力の山岳景観が楽しめるのだ。

 登山のトップシーズンはやはり夏ということになるだろう。こちらも「高山植物の女王」と言われるコマクサが、愛らしい花をつける。白い砂れき地に揺れるピンク色の花を見ると、心が躍る。
 秋になると高山植物は見かけなくなる。一方、暑くもなく寒くもないという気候の中、快適な登山ができる。台風一過となった2019年10月20日、燕岳に登った。前泊は登山口付近の中房温泉とした。山のいで湯にゆったりとつかり、登山への英気を養った。

 翌日午前6時、しのつく雨の中を出立した。登山口から急な登りとなった。合戦尾根と呼ばれ、北アルプス三大急登のひとつと言われる。だが、実はそれほど厳しくはない。30~40分ごとにベンチがあり、ペースがつかみやすい。大きな段差も所々にあるが、よく整備されている。ダケカンバ、ミズナラ、カラマツなどの樹林帯の中を3時間ほど歩き、山小屋・合戦小屋に着いた。ここを過ぎると快晴となった。雲海の分厚い層を抜けたようだ。

 ここから急傾斜の樹林帯をジクザグに登ると、ほどなくして稜線に飛び出た。森林限界を超えて目の前が開けた。正面に山小屋・燕山荘が見えた。目を左手に転ずると、槍ヶ岳の尖塔があった。その姿に思わず、「おおっ」と声が出た。前後にいた登山者たちがスマホやカメラを構えた。私もそれにならい、一眼レフカメラのシャッターを切った。写真を撮り終えた後は、心地の良い稜線歩きだ。火照った体を、涼風がすり抜けてゆく。なんと快適なのだろう。だが、岩場もあり、通過する際には足元に注意したい。

 1時間余りで、燕岳に連なる尾根に到達した。ここから見る北アルプスの景観は何度見ても息を飲む。大天井岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳、鷲羽岳、水晶岳がずらりと立ち並ぶ。黒々とした山並み、青い空に白い雲。世界がこの3色で構成されているかのようだ。

 山小屋・燕山荘には後ほど立ち寄るとして、燕岳をそのまま目指した。イルカ岩、メガネ岩といった奇岩が塔のように立ち並ぶ中を登りつめていく。30分ほどで狭い山頂に到着した。六畳ほどの広さで、「燕岳山頂 2673m」と刻まれたブロック状の岩塊がひっそりと置いてあった。後ろを振り向くと、富士山、南アルプス、八ヶ岳の峰々が雲海から顔を出していた。帰路は燕山荘に立ち寄り、カップ麺の昼食をいただき、合戦尾根を駆け下りた。合戦小屋から下はまた雲の中で、雨に覆われた。雨のち晴れ、そして再びの雨。天気が変わったのではなく、私が異なる天気の中を垂直に移動した。これも登山の醍醐味の一つだろう。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】
(2019年10月20日登頂)

北アルプスの女王・燕岳

北アルプスの女王・燕岳


中房温泉の朝食弁当のおこわ。塩気がきいてとてもおいしい

中房温泉の朝食弁当のおこわ。塩気がきいてとてもおいしい。
このほかちまきが2つに、カロリーメイトが付く。ちまきもとてもおいしい。


燕岳山頂からの富士山と南アルプス

燕岳山頂からの富士山と南アルプス


燕岳の稜線から見る北アルプスの山々

燕岳の稜線から見る北アルプスの山々


ユーモラスなメガネ岩

ユーモラスなメガネ岩


かわいらしいイルカ岩

かわいらしいイルカ岩


人気の山小屋・燕山荘

人気の山小屋・燕山荘

【教科書の燕岳】

 ご年配の方には、「燕岳」という名前を懐かしく思い起こす人もいるだろう。国民学校初等科の国語の教科書(1943年)に、「燕岳に登る」という紀行文が掲載されていた。学校登山に参加した男児の視点で、中房温泉から山頂までの道中を活写している。「左端の穂高に續いて、槍岳が、それこそ天を突く槍の穂先のやうに突き立つてゐる……この大自然がくりひろげる景観に打たれて、ぼくらは、ほとんど一種の興奮を感じるほどであった」「とうとう、燕の絶頂が來た。それは、大空の一角にそそり立つ御影石の岩塊である……今こそ、二千七百六十三メートルの最高點に立つたのである」。格調高い文章が続き、戦時中にもかかわらず戦意高揚を感じさせる言葉はまったく出てこない。軍国主義一色の時代に、意外な印象を受ける。

【熊井啓監督と燕岳】

 紀行文にあるように、かつて燕岳は学校登山が頻繁に行われていた。安曇野出身の社会派映画監督、熊井啓さんも6年生の時に登山したという。その時の思い出を、写真集「燕岳と安曇野-信州光彩」(赤沼淳夫・著、1991年発行)の序文に寄せている。引用しよう。登山したのは昭和17年6月24日という。「……そろそろ頂上という頃になると、はや東の空はうっすらと白み始めていた……ようやく頂上に着いたときは、大半が立っているのがやっと、という有様であった」「やがて、周囲に朝の気配が立ち込め、雲海の彼方が金色に輝き始めた。そして、私は身じろぎひとつ出来ないくらいの衝撃が、全身を貫いて流れるのを感じた。信じられないくらい真っ赤な太陽であった。私たちはその光の中で惚けたように立ち尽くし、疲れも忘れて荘厳な一日の始まりを見つめ続けていた。子供の私には、なぜ胸がこんなに高鳴り、全身の血が熱くたぎるのか分かる筈はなかった。瞬きひとつすることも出来ぬまま、まるで念仏のように『また来よう、きっと来よう』と呟き続けているばかりであった」
 監督は翌年にも再訪し、30年後にはロケ隊を連れて3度目の登山をすることになる。「少年の頃に受けた燕岳での感動が忘れられず、ロケ隊を連れて登る決意をしたのだ」と記している。社会派映画の巨匠の胸奥に、燕岳の太陽が刻まれていたのは間違いないだろう。

●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長