雲を見る旅・北横岳

 長野県の北横岳(2480m)は雪山入門の山だ。北八ヶ岳ロープウェイの山頂駅から1時間半ほどで山頂に到達し、危険なところはほとんどない。何年前だろうか。私も雪山初心者のころにこの山を歩いた。真新しい12本爪のアイゼンを初めて装着したのを記憶している。以来毎年のように「雪山は初めて」という方々をお連れしている。今では、隣峰の縞枯山(2403m)を含めて歩き慣れた山となった。

 地形という点では歩きやすい山だが、天候は別だ。吹雪の中を歩けば、北横岳でも道に迷う危険は十分ある。低体温症の恐れもあるだろう。安全な山歩きのためには気象の知識が欠かせない。だが、初心者ほど山の天気に無頓着な傾向にある。

 では、それを学ぶにはどうしたらよいのだろうか。手っ取り早いのは、専門家に教えを乞うことだ。国内唯一の山岳専門の気象予報会社「ヤマテン」(長野県茅野市)は、気象遭難を防ぐことを目的のひとつに、机上講座や実技講習を各地で行っている。筆者は2020年1月、同社代表の猪熊隆之さんが講師を務める「雲見トレッキング 縞枯山と北横岳」(毎日新聞旅行主催)に参加した。

 北八ヶ岳ロープウェイ山頂駅を降りた一行15人は、縞枯山(2403m)の雪の急斜面をあえぎつつ登り、山頂に立った。稜線から周囲を見渡すと、雲が安定した空気の層に抑え込まれ、雲海のようになっている様子が見て取れた。南アルプス、中央アルプスの山並みが雲の上にそそり立っている。白く輝く槍穂の稜線も遠望できた。猪熊さんは、参加者にコンパスで風の方向を確かめるように促した。「南西の風が吹いていますね。一般的には天気が悪くなる兆候です」と語りかけた。

縞枯山山頂付近で天気の開設をする猪熊さん(緑色の帽子)

縞枯山山頂付近で天気の解説をする猪熊さん(緑色の帽子)

 この後、山小屋「縞枯山荘」に移動し、夕食前にお天気講座が開かれた。猪熊さんは印刷した気象庁の天気図を配布した。25日午前9時、午後9時、26日午前9時の予想図だ。中国大陸にかかる前線を指さし、「明日(26日)にかけて前線があまり動いていないことがわかります。地形図の等高線のような線がありますね。等圧線と言いますが、その幅も広く、天気の崩れはさほど心配しなくてもよいかなと思います」「明日は風も極端には強くならず、雪も強まりません」と予想した。専門用語はほとんど使わず、分かりやすい言葉で語りかける。専門的な事柄を難しく伝えるのは誰にでもできる。だが、猪熊さんは門外漢の我々にも噛んで含めるように話しかけてくれる。「気象遭難を防ぎたい」との強い思いがあればこそだと思う。

縞枯山荘の夕食、カレーライス。素朴な味わいでとてもむおいしかった
縞枯山荘の夕食、カレーライス。素朴な味わいでとてもおいしかった

 翌26日早朝、縞枯山荘は白いガスで覆われていた。だが、風はほとんどなく、降雪もなかった。猪熊さんの予想通りだ。午前8時過ぎに一行は出発した。雪の登山道から自然庭園の坪庭に登ると、風景は一変した。木々には雪や霧氷がびっしりとまとわりついている。火山の噴出物だった巨石、奇岩も凍り付いたように見える。やがて登山道は北横岳の急斜面にかかる。樹林帯に入るがここも雪は深い。アイゼンの歯が斜面によく刺さり、ここちよく登って行ける。白雪まみれのコメツガがたくさんの実を枝先につけていた。春の準備は始まっているのだ。

ガスに包まれた縞枯山荘
ガスに包まれた縞枯山荘

実を付けたコメツガ
実を付けたコメツガ

坪庭の巨岩も凍り付いたようだ
坪庭の巨岩も凍り付いたようだ

 北横岳ヒュッテ前で小休止をした時、猪熊さんから「いま風は穏やかですが、北横岳の山頂は風が強いことが多い。防寒対策をしっかりとお願いします」と注意喚起があった。首周りの皮膚が露出しないように、ネックウォーマーを整えた。20分ほどかけて急斜面を登り切ると、南峰の山頂に飛び出た。猪熊さんの指摘通り、寒風が吹き抜けていた。さえぎるものは何もなく、風速は5~6m近くあるだろうか。気温計を持参した参加者が「気温は氷点下8度」と教えてくれた。一眼レフカメラのレンズに細かな雪がまとわりつき、張り付いた。足早に南峰を通過し北峰へ。こちらも山頂には樹木はなく、展望もない。晴れていれば眼前には蓼科山(2530m)の丸みを帯びた山体が見られるのだが、ガスに覆われて白い空間が広がるだけだ。参加者は手早く記念撮影をし、下山の途についた。分厚かったガスの層も薄くなったのか、日差しがさすようになった。

北横岳山頂にて。樹木が氷の芸術のようになっていた
北横岳山頂にて。樹木が氷の芸術のようになっていた


参加者が北横岳山頂で記念撮影。レンズに雪が着いてしまった
参加者が北横岳山頂で記念撮影。レンズに雪が着いてしまった


輪になった樹氷の向こうにも樹氷が見える。北横岳山頂で
輪になった樹氷の向こうにも樹氷が見える。北横岳山頂で


雪に埋もれる北横岳山頂
雪に埋もれる北横岳山頂

 猪熊さんは「水蒸気を含んだ空気が風によって山にぶつかることで上昇し、水蒸気が雲になります。山と風が組み合わさることで山の天気は崩れます」「今日は悪くなった天気が回復してゆくのを一日で見ることができました」と話してくれた。山の天気のメカニズムを学び、天気図を日々見つめる。その大切さを実感する山行になった。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】(2020年1月25~26日登頂)

 【ヤマテン】日本で唯一の山岳気象予報の専門会社だ。ほかの予報会社も山頂の天気予報を行っているが、機械による予報をそのまま流していることが多い。だが、「ヤマテン」は、登山経験があり山の地形や気象に詳しい、専属の気象予報士が予報を行っている。だから、ヤマテンの予報には安心感があり、信頼が寄せられている。筆者は、登山日が近づくとヤマテンの予報をパソコンで頻繁にチェックし、新聞の天気図をながめて登山当日の天気を想像している。登山中には、スマホでヤマテンの予報をチェックし、参考にしている。ヤマテンと凡百の予報が決定的に違うのは、「山の気象遭難をゼロにするために」という熱い思いがあることだ。具体的に予想される気象に関わるリスクを、気象予報士がコメントしてくれる。これが登山ではとても役に立つ。月額300円(税別)かかるが、有料会員となることをお勧めしたい。

●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長