光岳と面平キャンプ場

 「ピーッ、ピーッ」。深夜、テントに近寄ってきたシカたちが警告なのか、威嚇なのか、するどい鳴き声をたてていた。私は寝ぼけ眼に「シカが騒いでいる……」とつぶやいて、温かなシュラフ(寝袋)に顔を埋めて眠りの世界に再び入った。テントを張ったのは、南アルプスの山中、面平と呼ばれる場所だ。うっそうとした森に囲まれたキャンプ場なのだ。
面平に突然出現したキャンプ場
面平に突然出現したキャンプ場

 面平は、日本百名山のひとつ光岳(てかりだけ、2591m)に向かう登山道の途上にある。易老渡(いろうど)と呼ばれる登山口から急傾斜地を2時間ほど登りつめたところだ。南アルプスに詳しい方なら首をかしげるだろう。「面平にキャンプ場なんてあっただろうか」と。その通りで、今秋まではキャンプ場はなかった。だが、南アルプスでエコ登山を推進し山岳文化の継承と地域の発展を目指す一般社団法人「南信州山岳文化伝統の会」が設置した。もちろん地元の長野県飯田市や関係諸団体の許可を得たうえでのことだ。そもそも何もないところに10数針のテントが出現したのだから、シカが「縄張りを荒らすな」とばかりに警戒するのも無理はないことだろう。
易老渡登山口の手前、落石防止の金網が崩落
易老渡登山口の手前、落石防止の金網が崩落で林道に大きく張り出している。金網の下をくぐった

 易老渡から光岳に至る登山道はほぼ登りで、8時間以上はかかる。途中の面平を拠点にすれば、6時間程度に短縮できる。さらに、キャンプ場にはテント、テント内に敷くシート、携帯用コンロが常備され、登山者はシュラフ(寝袋)、食材、水などを担ぎ上げるだけでよい。トイレは仮設のブースが設置されており、ビニール袋に用を足すことになる(さらにエコ登山の趣旨から排泄物は持ち帰りとなる)。筆者はこのキャンプ場のファムトリップ(招待旅行)に参加したのだ。

 翌日午前6時半、手早く朝食を済ませて光岳を目指した。登山に不要な着替えなどはテントに置いたままで、ザックは軽々としていた。まずは易老岳(2354m)に向かうのだが、登山道に平たんな場所はほとんどない。ずっと登り続けることになる。気候が穏やかなせいか、10月下旬というのに、紅葉はほとんどない。同月中旬に訪ねた那須岳は全山が赤や黄色に染め上げられていた。「場所によりこうも違うものか」と少々驚かされた。緑色の森の中を一行13人は黙々と登ってゆく。時折木々の向こうに、聖岳(3013m)がちらりちらりと見えた。鋭鋒の山巓(さんてん)は白く輝いていた。雪が積もっているのだろうか。ちょうど3時間がたったころ、シラビソの樹林を抜けると易老岳の山頂に飛び出た。「やっと着いた」と皆の顔に笑顔が見えた。ここで行動食を口にするなど大休止した。
聖岳
聖岳

 30分後、再び歩き出した。アップダウンの後に、西側が開けた三吉ガレと呼ばれる展望地に出た。青空の下、遠くに近くに山なみが見えた。やや風が強まり、ほほが冷たくなってきた。帽子の上からフードをすっぽりとかぶり、防寒対策とした。大小さまざまな石と岩が折り重なった谷筋を1時間もあえぎながら登った。「息を切らしてはならない」と心に決めて、深い呼吸を何度も繰り返し、ゆっくり歩きのリズムを保った。登り切ると、気持ちの良い草原が広がっていた。やがて山小屋・光岳小屋の茶色の壁が視界に入った。今夏は新型コロナウイルスの拡大を受けて休業したという。訪れた時は避難小屋として登山者の拠り所となっていた。小屋から20分ほど歩き、光岳山頂に到達した。樹木に囲まれた頂に人影はなく、空も真っ白な薄曇りとなっていた。吹く風も冷たい。時折雪が混じり始めた。さらに15分ほど尾根道を下り、灰色の巨岩「光石(てかりいし)」と対面した。よじ登って周囲を見渡したが、雲にさえぎられて眺望は得られなかった。麓から見るとこの岩が光って見えたから、光岳と名付けられたという。
気持ちの良い展望地、三吉ガレ
気持ちの良い展望地、三吉ガレ
光岳山頂。展望はない
光岳山頂。展望はない
石灰岩の巨岩・光石
石灰岩の巨岩・光石

 ここから面平キャンプ場まで6時間以上をかけて帰還した。すでに日はとっぷりと暮れていた。先行した仲間たちが湯を沸かし、食事と酒とともに待っていてくれた。山仲間はありがたいものだ。口々に「ご苦労様」とねぎらってくれた。山中で温かな食べ物を口にし、励まし合い、語り合う。キャンプの良さを実感した。
キャンプ飯はテント泊の醍醐味。写真はジンギスカン丼
キャンプ飯はテント泊の醍醐味。写真はジンギスカン丼

 3日目は易老渡登山口から、伐採した樹木を運搬した遠山森林鉄道の線路跡を歩いた。南信州山岳文化伝統の会は、この道を光岳、聖岳への新たな登山道として活用する計画を立てている。会の面々は手弁当で整備を続けている。時には行く手を防ぐ大岩を粉砕し、倒木を切断し、危険な場所にはロープを張った。郷土の山岳振興にかける熱意に、敬服するほかはない。この新しい道が安全登山に活用されることを祈りたい。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイド・小野博宣】(2020年10月23~25日)


【特別インタビュー】


南信州山岳文化伝統の会顧問で、国際的に活躍しているプロ登山家、大蔵喜福さんに同会の活動や面平キャンプ場、エコ登山について聞いた。
大蔵喜福さん
大蔵喜福さん

-- 南信州山岳文化伝統の会の活動目的は何でしょうか。
 大蔵 広く南アルプス(赤石山脈)の自然的、歴史的、文化的価値を地域住民に啓発しその価値を高め、多くの人に楽しんでもらうことを目的とし、山岳文化の振興、並びに山岳の活用による地域振興に関する活動を行っています。

-- 面平キャンプ場の設置の目的は何ですか。
 大蔵 南アルプスは1年間に4mm隆起しています。学者は8mm隆起し、4mm崩れると言います。そんな崩落地形ゆえ、山腹の脆弱な道路は災害に弱く、常に不通になり、登山者は不便をかこっていました。もともと営業山小屋も施設もない、太古からの大自然の素晴らしさはあるが、登山者の少ないこの地は復興の手さえ伸びてきません。したがって、機動力を使って入山するのではなく、国道から大自然の中を歩いて入山しようと考えました。森林鉄道跡地を登山道として蘇らせ、聖岳、光岳周辺に登ります。国道から約18kmの面平が宿泊地として最適と判断し、所有者、地上権者から特別な許可を得て確保しました。現在は芝沢ゲートまで車は入りますが、もともと(森林鉄道の)軌道敷きを歩いての入山が前提です。なお、面平はキャンプ指定地ではありません。地上権者の特別許可を得て、設営しています。

-- エコ登山の定義を教えてください。
 大蔵 エコ登山という規定はありませんが、私たちは環境省のエコツーリズム推進法という法律に沿って、ある区域を定め、その範囲内でのツーリズムのルールを決めます。基本はカーボンニュートラル、自然第一主義です。人が自分の首を絞めるようなことが起きないよう自然界を守る。歩ける範囲は歩く、化石燃料を使わない移動。小屋や施設など人工物をつくらない、自然の中にゴミ、排泄物を残さないが大きな柱です。エネルギーも再生可能なものを使います。排泄物容器も生分解性プラにします。自然を汚さないためと、人類が生きている地球への、自然への思いを行動に移すことで、自然を守ることの意義を知りたいと思います。地球温暖化などの解決にもつながると信じています。

-- 面平キャンプ場の運用開始はいつごろの予定ですか。
 大蔵 2021年4月24日を目指しています。ソフトはこれから急いで詰めたいと思います。

-- 面平キャンプ場に関する問い合わせ先を教えてください。
 大蔵 一般社団法人「南信州山岳文化伝統の会」のメール (sangakubunka@mstb.jp) へお願いします。



●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長