登山コラム《山記者小野博宣の目》
大山(1252m)-東京・安心安全富士登山2021-ステップ2


 神奈川県丹沢山地の雄峰・大山(1252m)は、庶民の山だ。江戸時代から21世紀の現代に至るまで、大勢の老若男女が登はんしてきた。とはいえ、登山初心者にとって登りやすい山かと問われれば、NOと言わざるを得ない。表参道という優しげな名前が付いた登山道は急傾斜地が続き、岩と石が連なる。登るにせよ、下りで通過するにせよ、やっかいなことこの上ないのだ。
雄大な丹沢山地。山頂に山小屋が見えるのが塔ノ岳(正面左)
雄大な丹沢山地。山頂に山小屋が見えるのが塔ノ岳(正面左)

 この大山を舞台に、初心者が富士山を目指す実技講座「安心安全富士登山2021」のステップ2が行われた。2021年4月11日朝、小田急線秦野駅に、25人の参加者が集まった。バスに分乗した同駅南口からは、遠くに富士山が見えた。白雪の山頂は青空にひときわ映える。いつ見ても心が高鳴るのは、この山と北アルプスの槍ケ岳くらいだろう。登山口のヤビツ峠へは40分ほどの道のりだ。ヤビツ峠の登山口を少し上がったところに、レストハウスが新設されていた。木製の外観が目を引く。安全登山の拠点になってくれることを祈る。レストハウス脇の空き地で装備を整え、豊岡由美子・登山ガイドが「出発しましょう」と歩き出した。ヤビツ峠から山頂へ続くイタツミ尾根は、樹林帯の中を進む。新緑の頃は、さわやかな風が吹き抜け、こもれびが美しい。登山道もよく整備され歩きやすい。急な斜面に差し掛かると、豊岡ガイドは「ゆっくりと歩きますね」「これからどんどん(標高が)上がっていきます。マスクは苦しくなる前に外してください」と声をかけた。参加者は黙々と続いた。


 高さ2㍍ほどの鎖場が現れた。銀色の鎖が岩の上に張られていた。男性の参加者は「鎖がある」と少し驚いた様子だ。長田由紀子・登山ガイドが「鎖に頼らず、足を安定させて」とアドバイスした。参加者は岩をつかみ、慎重に登り切った。
鎖場を新地用に登る
鎖場を慎重に登る

 標高900mを超えると、稜線の左右に展望が得られるようになった。太平洋を見下ろす展望地で、豊岡ガイドは「江ノ島が見えますよ」と話した。左手に三浦半島、江ノ島、右手に真鶴半島と伊豆半島が横たわっていた。雄大な光景に、シャッター音が響く。ここからしばらく歩くと、左手に丹沢の山波が広がった。二ノ塔、三ノ塔、塔ノ岳、丹沢山と頂(いただき)が連なり、新緑をまとった屏風のようだ。その向こうには蒼天が広がっていた。絶景に目が離せない。いつまでも見とれていたいが、山頂は間近だ。
イタツミ尾根からの富士山。頭を雲の上に出し、と歌詞の通りの姿だ
イタツミ尾根からの富士山。頭を雲の上に出し、と歌詞の通りの姿だ

山頂直下の斜面を登る
山頂直下の斜面を登る

 山頂直下の急斜面をじっくりと攻め、頂点へ。大勢の登山者が思い思いに昼食を広げている中、参加者たちは「やっと着いた」と安堵の表情を浮かべた。

山頂で記念撮影する参加者
山頂で記念撮影する参加者

大山山頂に現れたニホンジカ。しきりと草を食べていた
大山山頂に現れたニホンジカ。しきりと草を食べていた

 休憩の際には、豊岡ガイドが「1時間後、2時間後の自分のために何か食べてくださいね」と呼びかけた。登山では、こまめな水分補給と栄養補給が長く歩くためのカギとなる。筆者はスポーツドリンクとともに、ドライフルーツと小ぶりのパンをザックの出しやすい場所に入れておき、休憩ごとに口に入れるようにしている。いわゆるシャリバテ(糖質不足による行動不能状態)を防ぐためにも細かな栄養補給が重要なのだ。

 昼食後、表参道を下山した。大山登山の核心部(危険な場所や通過に注意を要する場所)は下りにある。足が疲れているうえに、大小の石が転がっている。落差の大きな段差もある。慎重な一歩一歩が求められるところだ。長田ガイドは「下りはドン、ドンと(乱暴に)降りないようにしましょう」と伝えた。ストックを使っている参加者もおり、「下りでは、 ストックを先に突くと楽になります」と話しかけた。一行はコースタイム1時間余りのところを、倍の時間をかけて登山口である阿夫利神社下社に到着した。その後はケーブルカーで山を下りた。女性参加者の1人は「富士山に登る自信はまだない。しかし、練習を重ねてステップアップしたい」と意欲を見せた(2021年4月11日登頂)。【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】 

登山道のあちこちにスミレが咲いていた
登山道のあちこちにスミレが咲いていた

山のコラム(3)

 数年前の冬、同僚と大山に登り、表参道を急ぎ足で下山した。最終のケーブルカーに間に合わせるためだ。もうすぐ下山口というところで、スーツ姿の青年が登ってきた。革靴だった。その後ろには、ワンピースの若い女性がおり、白いおくるみに包まれた乳児を抱いていた。登山道には場違いな姿であり、異様な印象を受けた。夕闇も迫っていた。
 「その格好で登るのは無理ですよ」。そう声をかけた。青年は皮肉な笑みを浮かべ、歩みを止めない。女性は困惑していたが付いていってしまった。下車後、ただちに警察に届け出た。警察もすぐに動いてくれた。ケーブルカーの防犯カメラから3人が登山口のある駅を下車したことは確認できたが、その後の足取りは分からないと後日連絡をいただいた。
 私は怪奇現象や心霊現象は信じない。あの3人は確かに我々の前にいた。だが、どこに行ったのか。無事に下山したと信じているが、女性の戸惑った表情を時折思い出す(小野)。


●筆者プロフィール●
 1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長