登山コラム《山記者小野博宣の目》 幌尻岳


人を寄せ付けない山がある。その名を、幌尻岳(ぽろしりだけ、2052m)という。北海道・日高山脈の最高峰だ。
 この山の頂(いただき)に立とうとするなら、いくつかの困難を乗り越えなければならない。4時間に及ぶ林道歩きと額平川(ぬかびらがわ)の徒渉を経て、登山口のある幌尻山荘にたどり着く。
山荘から始まる登山道ははじめから急斜面に次ぐ急斜面だ。泥ねい、木の根と岩が登山者の行く手を阻む。転倒し、ズボンが泥だらけになった登山者を見かけた。稜線に乗れば、美しいカール地形に歓迎される。花畑もある。しかし、ここはヒグマの〝巣〟だ。幌尻岳は、北海の森深くにたたずむ難攻不落の要塞とでもいえようか。
 「これまでに120回近く登ったかな」。地元・平取町山岳会所属の船越光次さんは、そう話してくれた。御年75歳。「この山は、花尽くしの山。花好きにとってはたまらない山ですよ」と笑う。

幌尻岳を知り尽くした船越光次さん
幌尻岳を知り尽くす船越光次さん
船越さんとの出会いは、23年7月1日のことだ。地元・平取町の町民登山に同行取材をした際に、船越さんがリーダーの一人としてお見えになっていた。日に焼けた精かんな顔つきに、幌尻岳のオレンジ色のTシャツがよく似合う。目立ったのは、腰回りにくくり付けられた熊撃退スプレーと大きなナイフだ。用心深さをうかがわせた。沢歩きを前にして緊張する28人の町民に、「(川の中の)石が斜めになっているところに足を乗せてしまって、身体を傾けないように」と笑顔で話していた。

 午後12時17分、船越さんを先頭に、沢に足を踏み入れた。流れが強い。山岳会のメンバーは「今日は水量がちょっとだけ多い」という。筆者も幾度か態勢を崩しそうになった。船越さんは「沢のルートはひと雨ごとに変わる。歩くたびに新鮮」と語るが、参加者は転ばないように、流されないように必死だ。午後2時15分、山荘に到着した。
船越さんを先頭に徒渉を繰り返す ※参加者の顔が分かるようならモザイクをお願いします
船越さんを先頭に徒渉を繰り返す
幌尻山荘
幌尻山荘 
一息ついた後、山荘前で夕食の準備が始まった。平取町のふるさと納税返礼品である「びらとり和牛カレー」と「びらとり和牛100%ハンバーグ」のカレーだ。こってりとしたルーに、肉汁がたっぷりのハンバーグがよく合う。山中の夕食としては、ぜい沢この上ない。参加者は大いに英気を養った。

 翌2日午前4時に山荘を出発した。サブザックにペットボトルの水3本、行動食などを入れた。ウインドブレーカー代わりの雨具も忘れずに。幌尻岳に登はん経験のある同僚に、「登り始めの3時間は耐えてください」と言われていた。確かにその通りだった。岩や木の根をつかみ、身体を持ち上げる。足元は泥で滑り、踏ん張りが効かない。小休止の際に、先頭を歩く船越さんから「(この急斜面を通過するには)厳しいところがある。必ず片手を空けておいてください」と注意喚起があった。さらに傾斜はきつくなり、息を切らせないように、深呼吸を繰り返し、自分を励ましながら身体を持ち上げた。
 稜線に出る直前、船越さんは「これはオニクだ」と、地面から突き出たような棒状の物体を指さした。地面から20㌢ほど飛び出ていようか。黄色味を帯びた異形の突起物に、皆は驚いたようだ。
不思議な植物・オニク
不思議な形をした植物オニク
下山後調べてみると、葉緑素を持たない寄生植物だという。筆者も目にするのは初めてだ。ほどなく稜線に飛び出た。目の前には、幌尻岳と北カールの雄大な景色が見渡せた。カールの底にはシカが走っていた。朝の太陽がまぶしく、風も涼やかだ。

幌尻岳とカール地形
 カール地形と幌尻岳
登山道を歩いていると、後方で偵察していた山岳会のメンバーから「前方にクマ!」との一報がもたらされた。我々が歩く稜線上にヒグマが2頭もいるという。筆者は目視できる位置にいなかったが、緊張が走った。ほどなくしてヒグマは草むらに入り、姿を消したと伝えられた。周囲の草むらに意識を向けながら、慎重に歩いた。登山道上には灰褐色の、クマの巨大な糞が3カ所も落ちていた。

 午前8時3分、幌尻岳の頂(いただき)に立った。青空に、船越さんも「こんなに晴れた山頂は珍しい」と語った。参加した男性は「登山も幌尻岳も初めて。きつかったが、感動しました」と話した。30代女性も「登山をするのも、幌尻岳に登るのも初めて」と言う。「山は自宅から見えます。いつかは登りたかった。夢がかなった」と笑顔だ。
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幌尻岳山頂
小一時間ほどたたずんだ後、来た道を引き返した。「幌尻岳は花の山。北海道、本州の山の中でトップクラスです。ぜひ登りに来て」と、船越さんは相好を崩した。なお、船越さんは2023年度のまいたび(毎日新聞旅行)の幌尻岳ツアーに同行する予定だ。

幌尻岳の麓にある山小屋、幌尻山荘の管理業務を23年はまいたびのスタッフが行っています。気軽にお声がけください。

【元毎日新聞編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
  ●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長。       ◇