登山コラム《山記者小野博宣の目》 硫黄岳
-大阪・毎日登山塾2023-ステップ5
八ケ岳連峰の硫黄岳(2760m)は、私にとって霧の山だ。毎年訪れているが、霧に閉ざされたり、雨に降られたりしている。最近で晴れたのは、昨年8月の登頂だけだ。23年7月8日正午、その硫黄岳の山頂にいた。またしても雨模様で白い靄(もや)に包まれ、横殴りの強風にさらされた。一緒に登ったのは、「富士登山塾」の17人だ。女性参加者は「登れたけれど、すごい風」と、レインウェアのフードを抑えた。リーダーの高山宗則・登山ガイドが「お疲れ様。山頂です」と声をかけて、ハイタッチを交わしていた。
富士登山塾は、登山初心者が今夏の富士山登頂を目指す講座だ。3月の二上山(奈良県)から毎月山に登り、体力と実力を養成してきた。硫黄岳は、本番の富士山を前に、山登りの実力を確認することが目的だ。また、山小屋での宿泊体験も兼ねている。
一行は7日早朝に、大阪・梅田を専用バスで発ち、登山口となる美濃戸口(長野県茅野市)には午後2時前に到着した。登山の支度を整えた後、高山ガイドが地図の立て看板の前に立った。「今日はここから山小屋の美濃戸山荘まで歩きます。1時間くらいかかります」と説明した。
登山道には、シモツケソウやオダマキの花が揺れていた。ほどなく大量のアブがまとわりつくようになった。長そでのシャツを着るなど用心したい。
シモツケソウ
オダマキ
美濃戸山荘に到着後、自由時間となった。参加者は登山地図を見ながら、「明日はこの道を歩くのだろうか」「どんな山なのか」と予習に余念がなかった。 8日午前7時に山荘を出発した。高山ガイドは「次の山小屋、赤岳鉱泉まではそんなに登りません」と伝えた。林道を歩き、堰堤広場と呼ばれる場所で橋を渡った。「ここからが本格的な登山道ですよ」と声をかけた。ぬかるみや木の根、岩を踏み、歩みを進めた。何度も木の橋を渡る。手すりはなく、足元は濡れている。足を滑らせれば、川に転落する。
同9時過ぎ、山中の山小屋・赤岳鉱泉に着いた。赤岳鉱泉の標高は2220m。山頂までは500mほどの標高差がある。「ここからは結構な登りになります」と伝え、9時半過ぎに樹林帯の登山道に入った。すぐに険しくなった。つづら折りの道を、息を切らさないように歩き続けた。11時20分過ぎ、樹林帯を抜けて、「赤岩の頭(かしら)」と呼ばれる稜線に出た。風もなく、雨も降っていない。ここで行動食を取り、いよいよ山頂へ向けて踏み出した。山頂直下の岩場を慎重に通過し、頂(いただき)に到達した。暴風のため長居はできない。
同9時過ぎ、山中の山小屋・赤岳鉱泉に着いた。赤岳鉱泉の標高は2220m。山頂までは500mほどの標高差がある。「ここからは結構な登りになります」と伝え、9時半過ぎに樹林帯の登山道に入った。すぐに険しくなった。つづら折りの道を、息を切らさないように歩き続けた。11時20分過ぎ、樹林帯を抜けて、「赤岩の頭(かしら)」と呼ばれる稜線に出た。風もなく、雨も降っていない。ここで行動食を取り、いよいよ山頂へ向けて踏み出した。山頂直下の岩場を慎重に通過し、頂(いただき)に到達した。暴風のため長居はできない。
硫黄岳山頂
往路とは別の道をたどり、山小屋・夏沢鉱泉に下山した。こここで一泊し、9日はバスで大阪に向かった。次のステップは、いよいよ富士となる。本番の晴天と無事登頂を祈りたい。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長。