登山コラム《山記者小野博宣の目》 富士山2泊3日
-東京・安心安全富士登山2023-ステップ7(230816)
「雨雲が近づいています。(登る速度を)ペースアップします」。
2023年8月17日午前9時ごろ、富士山吉田口の標高3400m地点で、まいたび(毎日新聞旅行)の楠元秀一郎・登山ガイドが、山頂を目指す人々に伝えた。ザックを背負った10数人の男女は、緊張した面持ちでうなずいた。一行は、登山初心者が富士山登頂を目指す「安心安全富士登山教室」の受講生たちだ。
「風は東向きですが、西向きになると雨と雷が心配です」「山の雷は、下や横から来ます。一番怖いのは雷です」。
そう言葉を継いだ。そして、これまでより心持ちスピードを速めて歩み始めた。
2023年8月17日午前9時ごろ、富士山吉田口の標高3400m地点で、まいたび(毎日新聞旅行)の楠元秀一郎・登山ガイドが、山頂を目指す人々に伝えた。ザックを背負った10数人の男女は、緊張した面持ちでうなずいた。一行は、登山初心者が富士山登頂を目指す「安心安全富士登山教室」の受講生たちだ。
「風は東向きですが、西向きになると雨と雷が心配です」「山の雷は、下や横から来ます。一番怖いのは雷です」。
そう言葉を継いだ。そして、これまでより心持ちスピードを速めて歩み始めた。
雲に追われるように歩いた
岩場の急斜面をじっくりと登ってゆく。額に汗がにじむ。多くの人が3月のステップ1・高尾山(599m、東京都)から参加し、毎月の訓練登山を続けてきた。
「何としても富士山に登りたい」という願いが現実となる瞬間が近づいていた。
午前10時25分、1人目の女性参加者が山頂に姿を見せた。足がもつれたが、楠元ガイドと喜びのグータッチをした。その後、次々と参加者が日本一の頂を踏んだ。
「やったー」「ありがとうございました」「ここは山頂ですか。うれしい」
安どと喜びが広がった。
ついに山頂。楠元ガイドとグータッチ
登山口のスバルライン五合目を出発したのは16日午後零時半だった。雨もすでに上がっていた。
降雨のせいなのか、登山道は人もまばらだ。七合目の山小屋「日の出館」に同3時10分に到着した。
標高は2700mを超えている。参加者がザックを下ろし、くつろいでいると、小屋主と従業員の皆さんが「四季の歌」「山小舎の灯」を合唱し、歓迎してくれた。富士山の山小屋に、拍手が沸いた。
山小屋・日の出館で合唱する従業員の皆さん
17日は午前4時45分に日の出館を出発した。ほどなく太陽が神々しい光を放ちながら姿を見せた。夜明けだ。
同7時39分、今宵の宿となる山小屋・白雲荘に着いた。登山に必要ない荷物を預け、再度出発した。
「これからが本番です。さぁ、行きましょう」と楠元ガイド。そして、約3時間40分後、山頂にたどりついた。
険しい岩場を歩く
同7時39分、今宵の宿となる山小屋・白雲荘に着いた。登山に必要ない荷物を預け、再度出発した。
「これからが本番です。さぁ、行きましょう」と楠元ガイド。そして、約3時間40分後、山頂にたどりついた。
9月に古希を迎える松浦博子さん(69)は、発熱のために7月の富士登山教室をキャンセルしていた。
今回は体調を整えての捲土重来となった。
「日本一の山に登りました」と喜び、「年齢に関係なく、これからやれる限り現状維持を目指したい」と抱負を語った。
参加者の最年少は、中学1年の日向野琥央君(13)だ。
「日本一の富士山に自分の足で登ってみたかった。達成感がありました」と笑顔だ。
「70歳になったら、もう1回登りたい。(現在との)違いを楽しみたい」と夢を膨らませた。
古希を迎えた日向野君に「57年ぶりの富士山はいかがですか」と質問をしてみたいが、62歳の私には無理だろう。だが、未来の富士山も白雲をたなびかせて、威風堂々としているに違いない。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
「70歳になったら、もう1回登りたい。(現在との)違いを楽しみたい」と夢を膨らませた。
古希を迎えた日向野君に「57年ぶりの富士山はいかがですか」と質問をしてみたいが、62歳の私には無理だろう。だが、未来の富士山も白雲をたなびかせて、威風堂々としているに違いない。
富士スバルライン五合目で記念撮影
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長。