登山コラム《山記者小野博宣の目》
-東京・安心安全富士登山2023 卒業式
山頂に雲がかかり、左右の稜線しか見えないが、見つめる人々の思いは格別なものがあったはずだ。居合わせた全員が今夏、富士山の頂に立っていた。「まいたび(毎日新聞旅行)」が主催する、「安心安全富士登山教室」の参加者たちだ。
教室は2月の机上講座を皮切りに、夏の富士山登頂を目指し3月から毎月山に登った。月ごとの山は徐々に標高を上げて、体力や登山技術を無理なく身に付けた。ほとんどの人が登山初心者であり、3月の高尾山(599m、東京都)では登山靴も新品だった。夏にはすり傷ができ、泥跡も付いていた。
集合場所のJR御殿場線谷峨駅を午前10時10分に出発した。酒匂川を渡り、アスファルトの急坂を登りつめると登山口だ。初めは薄暗い樹林帯を黙々と歩いた。ノアザミの紫色の花が揺れていた。急な登りが続き、「きつい」という声が漏れた。やがて銀色のススキが登山道を覆い始めた。山頂は近い。
午後12時49分、大野山山頂に到着した。広々とした草原で、眼下に丹沢湖、東側に丹沢の峰々が見通せた。西に目を転じると、箱根の山も見えた。富士山を案内した岡野明子、楠元秀一郎、渡辺四季穂、押田七夫の各登山ガイドが23人の参加者に、「卒業証書」をそれぞれ手渡した。東屋では、先回りしたスタッフが大鍋に昼食を用意していた。寒風の中、紙コップで配られたクラムチャウダーを口にし、フランスパンにかじりついた。どの人も微笑み、なごやかな笑い声が広がった。女性は「今でも富士山を見ると、あそこに登ったんだなと思います。『私の富士山』と思えるようになりました」。男性は「教室に参加して良かった。やり切ることが出来て満足」と語ってくれた。威風堂々とそびえる富士山は、変わらぬ姿を見せてくれる。一方、その頂に登ると決意し、目標を達成した人々の心境は、それ以前とその後では変わった。富士山教室は2024年も開催する予定だ。どのような物語が展開されるのか、今から楽しみにしている。
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
【毎日新聞元編集委員、日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ・小野博宣】
●筆者プロフィール●
1985年毎日新聞社入社、東京社会部、宇都宮支局長、生活報道部長、東京本社編集委員、東京本社広告局長、大阪本社営業本部長などを歴任。
2014年に公益社団法人日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡの資格を取得。毎日新聞社の山岳部「毎日新聞山の会」会長。